六番手@ゆっきーさん お題「酸っぱい」 こないだ、好きって言った。 こないだ、手をつないだ。 こないだ、キスをした。 ちょっとずつちょっとずつ、 したい事が出来る事になって、 ちょっとずつちょっとずつ、 それが普通の事になって、 ちょっとずつちょっとずつ、 そんな事を繰り返して、積み重ねて、 たまに暴走なんかもしちゃったりして、 一緒にゆっくりオトナって奴になっていく。 それが当たり前なんだと思っていた。 手の中で耳障りなアラーム音を鳴らして震える携帯電話の液晶画面には今日の日付と時間しか表示されていなかった。 どうやら携帯電話を握りしめたまま寝てしまったらしい。 いつまでもベッドから出られずに手の中の携帯電話をもてあそぶ。 最後のメールは何日前だったんだろう? もう寝る。 また明日。 おう、また明日な。 おやすみ。 翌朝 いつも通りに待ち合わせをして、 いつも通りの通学路。 小言交じりの会話も、 心配事の確認もいつも通り。 「兄さん、どう?」 「いつなにがあってもおかしくない。と担当医に言われた」 「そうか…」 少し下の方にある揺れる髪の向こう側の表情をうかがう。 あのメールの後、 彼はちゃんと眠れたのだろうか。 医者がよく言うらしい、「いつかくる何か」というのはいつかではなく突然やってくる。 授業の途中で担任に呼ばれた彼は、 教室の入口で担任と二言三言交わすと、 一瞬、表情を曇らせたように見えた。 ああ、と思う。 とうとう起きてしまったのだと思う。 担任と話を終えて自分の机に戻る彼は、 無表情そのものだったが、俺には溢れそうになるものを必死に耐えているように見えた。 クラスメイト達の好奇の視線を浴びながら静かに教室を出て行こうとする。 追いかけなくちゃいけない気がして 腰を上げた俺はドアのガラス越しの彼と目が合った。 彼は俺をキッと睨んで、 その後で首を横に振る。 そのまま固まってしまう俺。 静かに閉まるドア。 中途半端に立ち上がったままの俺に 「どうした?長曾我部」 と、教科担任が不思議そうに言った。 「あ…なんでも…ないっす…」 すとん。と体が落ちていく。 中断されていた授業が再開されたが、内容は覚えてない。 俺にできることはなんだろう? そればかりを考える。 黒板に教科書にノートに、そういうことがに書いてあればいいのに、 目の前には面白くもなんともない記号と、真っ白なノート。 それを眺めるなんにも出来ない自分。 その日の夜遅くになって母親から彼の兄さんが亡くなったことを知らされた。 家を飛び出そうとするのを母親に止められ、少し口論になる。 ひどいことを言ってしまったような気がする。八つ当たりをしてしまった。 今すぐ彼のところに行きたい気持ちと何かしてあげたい気持ちを携帯電話にぶつけようと思ったけれど、 一言書いてはカーソルを戻し、また一言書いてはカーソルを戻しの繰り返しで、 最後は点滅するカーソルを眺めていることしか出来なくなってしまった。 会いたいのに打つ文字が見つからないなんて歌があるけれど、たぶんあーいうのは甘酸っぱくて切ない恋の歌であって、 今のこの気持ちは恋ではあるけれど、甘さなんてこれっぽっちもなくてただ酸っぱくてしんどいだけだ。と思う。 いつも通りじゃない通学路。 隣に彼がいない。 ずっと一緒にいられるわけじゃないのは頭のどこかでわかっているつもりだけれど、いつか来るこんな時を自分は耐えられるのだろうか。 などと話し相手がいないせいで考えてしまう。 担任から彼の兄さんの事について手短に伝えられた。 中高一貫で皆付き合いも長く、彼は部長も務めている事もあって、通夜や告別式に参列を希望するクラスメイトは多かった。こんな時にてきぱきとまとめることが上手な奴は必ずクラスに1人は居て、帰り際には集合場所や時間もしっかり決められていた。 右にならえ。それについて行くことにする。それしか出来ないから。 ベッドの中でもう一度、携帯電話の液晶画面を見る。 今日が通夜の日だ。 一旦学校から帰ると喪服姿の母親が忙しく支度をしていた。 そういや手伝いがあるから夕飯はどうのこうのとか言っていた気がする。 大人には毛利ん家のためにやれることがあるらしい。 八つ当たりをしてしまったので決まりが悪く、ただいまも言えないで、もじもじとしていると「おかえり」といつもと変わらない口調で言われて戸惑った。 「じゃあ、行ってくるから…」 玄関先で言いかけて、俺の上から下まで見てため息をつく。 「なんだよ?早く行けよ」 「…ちゃんとした格好で行きなさいよ。 じゃあ、また後でね」 「んなことわかってるってんだ。うるせえな、さっさと行けよ」 「はいはい」 集合時間まで時間があるので、ベッドに制服のまま倒れこむ。 携帯電話を取り出す。 やっぱり何もない。 メールの送信画面を呼び出す。 やっぱり何も送れない。 彼は俺なんかよりずっと言葉を知っているから、俺になんか悲しくて辛いことがあった時になんかこう…、それが吹っ飛んじまうような、報われるような、大丈夫だって思えるような、そんなすげー言葉をくれるんじゃないかと思う。 玄関先の姿見の前に立つ。 着崩した制服を直した。 ネクタイをキュッと締め直す。 式典の時くらいまともに制服を着たらどうだ?なんて彼に言われたのを思い出す。 なんとなく苦しくて何度も首とシャツの間に人差し指を入れた。 遅れる気持ちなんてこれっぽっちも無かったのに集合場所に着いたのは時間ギリギリだった。クラスメイトのほとんどは集まっていて、 「おっせーよ、来ないかと思った」 と、口々に言われる。 「わりぃ…ちょっと…」 「まぁ、お前毛利ん家と仲良いもんな。アイツなんか言ってた?大丈夫?」 大丈夫なわけないだろ?が喉元まで出かけて、ぐっと飲み込む。 「なんにもねぇよ。こうゆうのって身内は忙しいもんだろ?そっとしとけって母さんも言うし。迷惑かけらんねぇし。」 何にもできねぇし。 青いブレザーの集団に混じってついていく。ただの同級生の1人になる。 真っ黒い喪服の大人達の中で青いブレザーの集団はそこだけぱっと明るくて随分と浮いていた。 焼香の列がゆっくりと進んでいく、 彼の兄さんの遺影に焦点が合う距離になって、まじまじとそれを見つめる。 まだ元気だった頃、彼によく似た控えめな笑顔の写真。 自分の順番が来てくるりと後ろを向くと、彼の両親と彼が並んでいた。 彼は青いブレザーの制服ではなく、他の大人達と同じような黒いスーツを着ていて、その中で一番の大人は自分なのだとでも言いたそうな、そんな顔をしていた。 そんな彼と目が合うときゅーっと胸が痛くなってそのうち目ん中も痛くなってきて唇の端が震えてなんかが出てきそうだった。 短く頭を下げながら、彼も彼の兄さんもおばさん似なんだなぁ。とかそんな事を思った。 焼香が終わってまた後ろを向く、 彼は顔色ひとつ変えずにじっと祭壇の方を見つめていた。 翌日は朝から厚くて重たそうな雲が空一面を覆っていて、その空を見ているだけで涙が出てきてしまいそうだった。 息をずっとかけていないと指先がヒリヒリしてしまうくらい空気が冷たい。 どれだけ寒くても構わないからせめて空だけは澄んだ青であって欲しかったのに。 彼はまた昨日と同じ大人の顔で祭壇の遺影をずっと見つめていた。 出棺を見送り自宅へ戻る。 まだ学校へ行っても授業が受けられる時間だったが、とてもそんな気にはなれなかった。 冷え切った体をなんとか暖めようとホットカーペットの電源を入れて寝転がる。どうしても片面しか暖まらないので、ベッドから毛布を引っ張ってきてくるまった。体が温まってくると睡魔が襲ってくるのは当然の事で、いつの間にか降ってきていた雨の音を聞いているうちに眠ってしまった。 携帯電話の着信音に目が覚める。 液晶画面に彼の名前が表示される。 通話ボタンを押して電話に出たものの、 聞こえてくるのは耳障りな雨の音ばかり。 「もしもし?どこにいるんだよ?」 「…そと…」 そと…。 はっと立ち上がりカーテンを開ける。 傘もささずに2階の俺の部屋の窓を見上げる彼と目が合った。 よく転げ落ちずに階段を下りられたもんだと我ながら思う。 触れるとバスタオル越しですら彼の体が冷え切っているのが分かる。 「そんな黒いスーツ持ってたんだな」 「兄のものだ…」 「そっか…。制服でも良かったんじゃねぇの?」 「両親にもそう言われたが、これからは兄の代わりに生きてゆかねばならぬ…そう生きてゆくことを兄に見せたかった故…」 ぽたぽたと冷たい雫が落ちてゆく。 バスタオルを深くかぶってうつむく彼の表情は見えない。 「あんたはあんたのままでいいんじゃねぇの?」 キスをしたら酸っぱかった。 ストレスが溜まっていると キスがそんな味になるとか、 学校をサボった日に見た昼間の 情報番組でやってた気がする。 と、言うわけで今こうやってキスをしている彼はストレスの塊らしい。 それも仕方ないか。と思う。 若気の至り、勢いでそんな事をやってしまったものの。相手はレモンよりも酸っぱいストレスの塊。捌け口が衝動になって舌に返される反応が思ってた以上に熱っぽい。 これは、 まずいまずいまずい。 味の話じゃなくて。あっちの話。 慌てて唇を離すと、彼は不思議そうな顔をした後、はたと我に返ったようだ。 さて、その相手をまじまじと見る。 潤んだ目で上目遣い。こりゃまずい。 視線を下げる。 さっきまで食いついていた唇。 赤く光って半開き。こりゃまずい。 視線を下げる。 濡れた白いシャツに透ける肌色。 あぁ、まずい。 どこに視線を持って行ってもまずい。 据え膳なんとか男の恥とは言ったものの、据え膳の出てくるタイミングとかそれを頂くシチュエーションとかそういうのって超大事だと思うんだよ。 だから今じゃないって話なんだけど、 今じゃなきゃいつなんだよって話でもある。 雨の音がしなくなっていた。 どうやら雪になったらしい。 そんな事は今はどうでもいいか。 とりあえず苦しそうな彼の首元の黒いネクタイに手をかけた。 |
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背景素材:Sweety 様