五番手@紫翠さん お題「あなたの前で素直になれたら」 「ナリちゃん、今から一緒にラーメン食いに行こうぜ!」 やたらハイテンションな元親の言葉を、 「阿呆か貴様」 半眼で睨みつけながらその一言で元就は一掃した。 秋もすっかり深まって、寒々とした夕方である。 「ちょ、さすがにそれはねえだろ」 「随分と余裕だな。貴様は明日が何の日であるか理解しておるのか」 反撃を試みた元親の心に、元就は容赦なく現実を突きつける。ぐ、と言葉に詰まる元親を尻目に、元就はいそいそとマフラーを巻いた。もともと寒がりな体質で、秋のは初め頃から既にコートを着用している。ここ数日でさらにめっきりと冷え込んだ。カイロはポケットに常備。それでも指先は冷たい。 元親はというとネックウォーマーをひとつ着けただけで、手袋もなし、冬服の上にはコートもなし。元就にとっては見てるだけで寒い。本人は平気そうな顔をしているが、風邪もひかないので本当に平気なのだろう。 「・・・だってよう、ナリちゃん最近ずっと構ってくんねえじゃん」 「我は忙しい」 「別にあんたは勉強しなくったって普通に頭いいじゃねえか」 「貴様はもっと進んで勉強するべきだと思うがな」 再び唸った元親を眺めながら、元就は自身の手袋を探していた。何処に仕舞ったか――― 「ナリちゃん疲れてんだろ?」 「自己管理くらいしておるわ」 「・・・・・・でもラーメン食いに行くくらい」 「定期考査は明日ぞ」 元親の心へ直球ストレート。とどめを刺すつもりで元就は告げた。 そう、定期考査。元就はともかく、元親に関しては毎度赤点すれすれなので、そろそろ本気を出さないと本人が困るはずだ。最終日くらい足掻け、と言って、元就は歩き出した。結局手袋は見つけられなかった。朝は着けてきたから、大方教室にでも忘れたのだろうと思ったが、取りに帰る時間はない。 「でもよう―――」 「我は今から兄上の所へ行く」 なおも食い下がろうとした元親に目を合わせずに元就が呟いた。それを聞いた瞬間、す、と元親の顔色が変わる。 「・・・俺も行くよ」 「いらぬ」 「・・・でも」 「我が一人で行く故」 そこまで頑なに拒絶されては反論の余地もなく、元親は黙って首を縦に振った。「じゃあ俺先に帰るな」と言い残して、校門を出て行った。その少し寂しそうな後姿を眺めながら、元就は小さく溜息をついた。 いつも一緒にいてくれる元親の面会を断ったのにはわけがある。 ここ数日で、兄の病態はまた少し悪化した。 もともと心配性の元親のことだ。自分のことのように心配してくれるに違いない。そして元就のことも、「大丈夫だ」と言ってくれるに違いないのだ。 元親は優しいから。 その優しさに甘んじてしまう自分が、何となく、許せなかった。 何も出来ない自分の歯がゆさ、上手くいかないこと全てが、酷く重く肩に重圧をかけてくる気がする。息が苦しくなる。駄目だ。一人で立たなくては。他人の手に縋ってどうしようというのだ――――。 白い兄の、幾つもの機器に繋がれた顔を見ながら、己の手を擦ってみても、指先が温まることはなかった。 「ラーメン、食いに行こうぜ」 病院の自動ドアを抜けた正面。 白い息を吐きながらにかっと笑ったその見慣れた青年の顔を驚いて眺めていたら、いつの間にか手をとられ歩き出していた。 しばらく歩いて、連れて行かれた先は「らあ麺 絆」というラーメン屋だった。 2人だ、と告げると、店長らしき人は困ったように、テーブル席でも良いか、と訪ねてきた。カウンターの方は見れば確かにいっぱいで、大方仕事帰りのサラリーマン達が夕食をとっているのだろうと判断がつく。 4人掛けのテーブルに2人、向かい合って座った。ちょっとだけ気まずくて、運ばれてきた冷水に口をつける。ラーメンと餃子を2つずつ注文して、出てくるまで2人は押し黙っていた。はあ、と沈黙を破るような元就の溜息に、お、と元親は顔を上げる。 「・・・・・・して、貴様は勉強したのか」 「・・・・・・・・・した」 「していないのか」 「したって」 ふーん、とでも言いたげな半眼に元親はへらっと笑って目をそらす。まあ、つまり、そういうことだった。しばらくして湯気を立てるラーメンが2人前、運ばれてきた。程なく餃子も机に置かれる。 ラーメンと餃子。元就にとっては随分ご無沙汰な品だった。 元親が投げてよこした割り箸をぱきりと割る。重い丼を寄せ、麺を啜ろうと顔を近づける。瞬間、元就の視界はホワイトアウトした。 ぶっ、という大げさな吹き出し声が正面から聞こえて、元就は不愉快そうに眉をしかめた。 「ラーメン食べるときにそりゃあないぜナリちゃん」 「黙らぬか」 爆笑の声を聞きながら、真っ白に曇ってしまった眼鏡を外して、元就は面倒くさそうに脇へ置いた。顔にかかった前髪を払って目を開けると、口を真一文字に結んで神妙な面持ちの元親と視線がぶつかった。 「・・・・・・お前」 「何ぞ」 「・・・どこが、自己管理出来てんだよ」 「・・・・・・」 眼鏡を外した元就の目の下には、まだ幼い面影を残す顔立ちに不似合いな濃い隈が出来ていた。今まで夜道を歩いていたから気付かなかった。元就は元親の問いには答えず、ず、とラーメンを啜る。脂っこかった。 「寝れてねえん、だろ」 「・・・・・・」 それ以上会話が続くことはなかった。二人は無言でラーメンを啜り、餃子を口に運んだ。随分と懐かしい味だな、と元就はぼんやりと考えていた。 元親がよく筋肉のついた腕を伸ばし、元就の隣にあった眼鏡を掴んで自身のポケットへ入れた。 何だか取り返すのも面倒臭くて、元就は黙ってそれを眺めていた。 そうだ、手袋を学校に忘れていた。 ラーメン屋から出た後、元就はぶるりと震えてまた苛立ちに顔を歪めた。ポケットに両手を突っ込む。大してあたたかくもなく、自分の指の冷たさを実感するだけだった。 元親から未だに眼鏡を返してもらっていない。 「はぁ、寒いな」 「・・・・・・」 「・・・帰ろうぜ」 結局勉強も出来なかったし、ラーメン屋で大それた会話もしていない。果たして今日のこの時間に意味があったか、と問われても、元就は首を縦には振らない。 ――――が、横にも振れないだろう。 暗い市街地を並んで歩く。吐く度に息が白く上がって、ああもう秋ではなく冬なんだ、と思って、少しだけ哀しくなる。 元就の身長は元親の肩に届くかどうか、ぐらいである。加えて元親は体格に恵まれており、元就は相当華奢だ。そんな二人が並んで歩いている所を後ろから誰かが見れば、カップルか何かかと思うかもしれない。だけど元就はずっと俯いていた。何となく、元親の顔を見ることは出来なかった。 二人で久しぶりに食事が出来たというのに、何も話せなかった。話したくなかった。 しばらく黙って歩いていた。 「・・・・・・ナリ」 「・・・・・・」 「手ェ、繋いでもいいか」 何故突然そんな小っ恥ずかしいことを言うのかと、元就は驚くのを通り越して呆れてしまった。 そうだ。どれだけ冷たく突っぱねたって彼は。 捨てられた犬のように、いつまでも追いかけて縋りつくのだ。 「今日は強引につき合わせちまって悪かった」 「けどな、お前、今、本当にいっぱいいっぱいだろ」 「寝れてねえことだけじゃない。知ってるんだ、お前何でも独りで抱え込むだろ」 「ずっと一緒だから、知ってる」 嗚呼もう勘弁してくれと言いたげに、元就は小さく、本当に小さく喉の奥で呻いた。何かが出てきそうだった。それほどに喉の奥が、焼けきれるかと思うほど熱かった。 「・・・・・・ナリ、独りで仕舞い込むなよ」 俯いた目線の先に、元親の左の掌があった。 手袋なんてしていない。自分のよりも分厚くて、頼りがいがあって、それでも指にペンだこもあったし、自分のに比べ傷跡が多くて、大きかった。 幼い頃から、そして今まで、自分の手の大きさが彼に追いつくことはついになかった。 きっと、幼い頃から離れられなかったのは、自分の方だったのだろう。 中学入試のときといい、元親が元就を追いかけてきてくれたことに、何より一番安堵したのは実は自分自身なのだと、元就は気づいていた。 それでも、嗚呼、今の今まで、ついに自分は彼に何も伝えられていない。 それは恥ずかしさなのか、或いは別の感情なのか。 何も言わずにその手を握り返すことができたら、きっと楽になるんだろう。繋がれた鎖の先の錘も、随分と軽くなるのだろう、と甘い想像をしては、現実との間で揺れていた。 それでも彼はいつでも笑って、差し出しもしていない元就の手を握って、引いて、歩いていくのだ。丁度、今日のラーメン屋のときのように。 (ほんに、貴様は、阿呆ぞ) 頭の中で散々悪態を吐きながら、元就は右手でそれを握った。 嗚呼、あったかいなと思った。 冷えて凍った指先に、それはそれはあたたかく滲んだ。 「・・・・・・我は手袋を忘れてきた故」 俯いて、マフラーに埋まった口からか細く言葉が紡がれる。 「家まで貴様が我の手を温めよ」 やっとのことで元就が告げた言葉はそんなもので。元親は優しく、ちょっと幸せそうに笑った。 「素直じゃねえなあ、全くよう」 「・・・して、貴様は何時になったら我の眼鏡を返すつもりぞ」 「あー、ナリちゃんが帰ってちゃんと寝てくれるなら返すかなー」 「ほう、ならば貴様は今宵我に教えを乞わなくて良いのだな?」 「ああ!? テスト明日じゃねえかよ!」 「何故もっと早くに勉強せぬのだ・・・少しは学ばぬか、阿呆」 「ちょっ! 眼鏡返すからウチ来てくれよ!」 「我に早く寝ろと言ったのは何処の誰だろうな?」 「いやそりゃ寝て欲しいけど! ああそうじゃなくて! ああー!!」 市街地に響く痴話言。 それでも繋がれたままの手を、元就は、いつしか自然に握り返していた。 |
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