二番手@東露さん お題「扉の向こう側」 気づいた時にはどうしようもない恋に落ちていた。 と、思う。いつからかはもう定かではない。 夏が過ぎ少しずつ日が短くなり空気はもうすっかり秋のものだ。 乾いた風が心地よい。季節の移ろいをあまり気にしない元就だったがこの時期は気に入っていた。 「すっかり暗くなっちまったな」 「うむ」 定期考査に向け部活動も休止状態でいつもは帰りの時間がバラバラの二人も今日は一緒の帰り道。 揃って図書館の隅に陣取り、元親の苦手な箇所を集中的につぶしていた。 教科の好き嫌いがダイレクトに成績に反映するのは元親の悪い癖だと思う。 元親の引く自転車のカゴには二人分の荷物。カラカラと回る車輪の音を聞きながら暗い道を歩いた。 「元就の自転車、いつ直ってくるって?」 「来週ぞ。テスト前には間に合うであろ」 昨日の帰り道にブレーキが甘い事に気づいた。修理に出したがしばらく時間がかかる。 他愛ない話をぽつぽつと繰り返してはまた黙る。 沈黙は不快ではない。伊達に生まれてから十数年一緒にいるわけではないのだ。 元親とは喧嘩も多かった。 幼馴染で根本的な性格は合わなかったが、互いにどこをつつけば本気で怒るのか間合いは熟知していた。 あまり…と言うより相手の心情を汲んで行動すると言うスキルを持たない元親の事だから、わかっていながら元就の地雷を踏みまくる事も多かった。 それでも「ナリちゃんゴメンな?」と元就が許さない可能性など一切思い当たらないような無防備な笑みで手を差し出されると、 それを跳ね除ける事は元就にはできなかった。…もちろん、腹立ち紛れに一発殴る事もお約束ではあったが。 他人に対して自然と壁を作る癖のある元就のソレを、昔から軽々と越えてきた幼馴染。 純粋に自分を慕ってくるあの笑顔。元就のややこしく拗れた恋心はどうやっても友人として慕ってくる元親のソレとは相容れない物に成り果てた。 元就を追いかけて進路まで決めてしまった大馬鹿者だったが、元親は最近はようやく自分のやりたい道を見つけたらしい。 希望通りに進めば元親は理系に元就は文系に進む。そこが自分達の分かれ道だ。 「あ、月」 「ん?」 ぼんやりと自分の思考の底に落ちていた元就の横で元親が声を上げた。 立ち止まる元親に合わせて元就も視線の先を追う。ほぼ円形に近い月が民家の屋根すれすれの位置で明るさを増してきていた。 そういえば今年の名月は満月と重なるとか何とか…ニュースで言っていたような気がする。興味がないのでよくわからないが。 「まん丸だ」 そう呟く元親はそんな雑多な情報は関係なしにただうっとりと空を見上げる。 幼馴染は昔から綺麗なものに弱かった。子供の頃からこんなところは変わらない。 「まだ満月には月齢が低かろう」 「そんなのほんの2,3日だろ。ススキ取って行こうぜ?興元さんに届けてやればいいさ。な?」 「…そうだな」 兄が好きだったこの季節によく似合うススキ。土手の向こうへ分け入っていく後姿をぼんやりと眺めながら思った。 コレを病院に持ち込んでも兄の病室へは、無菌状態のあの部屋には外の物を持って行けないだろう。 それでも自分では思いつけなかった幼馴染の兄への好意をガラス越しでもいいから見せてやりたくなった。 (こういうところは敵わぬな) 自分が思いつくのは実質何の役に立つか、であって。この幼馴染のように心を慰めてやる何かを思いつく事ができない。 きっと病人の支えになるのはこういう事なのだろうけれど。出来る事の少なさを噛み締める。 それでも元就にしか出来ない事もある。兄の代わりに家業を継いで家族を支えること。 そのために今出来る事は少しでも法学を学ぶ基礎を身に着けることだ。 この先は進路ごとにクラスも別になる。 多分兄で手一杯の両親の事で、元親の事を思う隙間もなくなるだろう。自分は大事な物はひとつしか持てない。 そしてこのまま物理的にも別れれば、本当の意味で距離が出来る。 でもそれは悪い事ばかりではない。…元親にとって、いい幼馴染のままでいられる。 この気心の知れた幼馴染の距離感は元就も気に入ってはいたが、持て余し拗らせた思いを不本意にぶつけてしまうよりは。 ガラス戸一枚隔てた向こう側からならば、少しはマシに向き合えるような気がするのだ。…ただ、少しだけ本音を言うとしたら。 (もう少しだけ、一緒にいたかった) いつか必ず道がわかれる時が来るのはとうの昔から気づいてはいたけれど。せめて学生のうちだけでも。 元親がトキノ学園に自分を追いかけて来ると知った日からせめて卒業までの間だけは一緒にいたいと思ったのだ。 (我としたことが何とも思い切れぬ) まだ未練がましい自分に元就は呆れた。 ふと顔を上げると視線の先で楽しそうにススキを選ぶ姿が見えた。 子供の頃から秋が来るたび何度も二人で空き地や土手でススキを選んだ。見慣れた風景。 ススキと色素の薄い元親の髪が月に照らされているのが綺麗だ。 月が綺麗、ススキが綺麗、そう言って笑うお前の方がよほど。…遠い昔から何度も思った事だが言ってはやらない。 昔から大人にも子供にも年寄りにも、それこそ男女の区別なくもてまくる人たらしの幼馴染。 この男以外の誰かに気持ちを揺らした事はなかった。 いつか時間が経って、この帰り道を懐かしく思う日が来るのだろうかと思いかけ、すぐに自分は思い出しもしないのだろうと予想がついてしまった。 どこまでも現実的な自分。目の前の事を優先し過去を思う余裕は持てないだろう。 (お前が我を追いかけて来てくれてよかった。同じ学園に通えて良かった) この時間だけは誰のためでもない元就だけの時間だ。まだそれくらいは許されている。学園にいる間だけは。 (くだらぬ感傷に浸るのも今日くらいにしておかねばな) 毎日少しずつ兄の容態は悪くなりつつある。覚悟を決めなければ。きっともうすぐ元親と過ごした子供時代が終わる。 目の前にある扉を開くのをためらう時間はもう残り少ない。未練だな、ともう一度思った。 「元親、その先はもう急斜面ぞ。貴様足元は見えにくかろう、あ…!…ああ、この阿呆ぅが、言わぬ事じゃない…!」 目の前で派手に転んで斜面を転がる幼馴染を助けに元就が駆け出す。 「ナリちゃん転んだー…」 「喧しい。甘えても可愛くないわ、でかい図体をしおって…この戯けが。」 どうしてこう、この幼馴染は自分が向こう側に行こうとする時ばかり引き止めてくるのだろう、無意識に。 差し出される手をいつまで経っても振り解けないではないか。 どこからか風に乗って金木犀の香りがした。 甘ったるくて優しい、目の前の幼馴染に似合いの。元就はひっそり思った。思いついた自分自身を馬鹿にしながら。 いまだ穏やかな空気が流れ続けていた、そんな秋の帰り道。 |
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背景素材:三毛猫6/9 様