一番手@ランプリイさん お題「知らない君の顔」





 幼稚園の砂場で派手に転んで、ナリが苦労して作ってた砂の城に頭から突っ込んだことがあった。
 半泣きの顔で「チカのばかー!!」て喚かれた。
 あれがナリから喰らった記念すべき生涯最初の罵声だった。

 小学校3年生の夏自由研究でヘチマを育てたら、実ったヘチマにすげえ蕁麻疹ができてて仰天したこともあった。
 「ナリちゃんどうしよう!」て見せたら「あほう!それはゴーヤぞ!ゴーヤとヘチマのくべつもつかぬのか!」て怒鳴られた。
 罵声の語彙に「あほう」が加わった瞬間だった。

 小学校6年生になってはじめて、ナリは地元の中学じゃなしに中高一貫の私立トキノ学園に進学するのだと知った。
 俺もそこに行くっつったら「貴様の成績でどうしようというのだ、…愚か者」てぼそっと言われた。うん「愚か者」が追加されたのはそん時な。
 「やだやだナリちゃんといっしょがいいー!」て俺、そらもう必死に勉強した。
 マジ、死ぬほど勉強したんだぜ?合格発表見た瞬間倒れて、それから一週間熱出して寝込んだもん。ウン、あれもうちょっと勉強したら死んでたよな、俺。
 そう、あん時だ。見舞いに来てくれたナリにしみじみ「コケの一念岩をも通すとはこういうことか」て言われてよ。
 俺、長いこと「コケ」って湿気たトコに生える「苔」だと思ってたんだけど、あれ、「虚仮」なんだってなあ。愚か者とかいう意味の。
 ばかにもまあ随分いろんな言い方があるもんだ。小学校6年生でそんだけ知ってるとかナリはやっぱ賢いんだよなあ!
 で、本人にそう言ったら、呆れ果てたって顔で「この戯け!」って言われて、ウン、頭まではたかれた。
 なるほど「戯け」なんて言い方もあるのかと学習した。
 俺らは中学2年生になっていた。

 入学するだけでも知恵熱出して寝込んだような学校だ。俺の成績は常に超低空飛行で。
 いや、やんちゃして生徒指導部に絞り上げられたこともあるけどよ…つかよくあったけどよ、それでも落第だの何だのってならなかったのは、ひとえにナリのお蔭だと思う。
 普段はつれねえけど、マジでヤバイってえ時は、テスト前につきっきりで勉強をみてくれた。
 おかしなもので、ナリに教わる方が、先生に教わるよりよっぽどよく判る。中3の時だったか、そう言ったら、長いつきあいで俺がどこで混乱するか読めるようになってしもうたのだとそれはそれは嫌そうに言われた。「貴様のような輩を脳筋と言うのよ」って。「脳筋」はアイツよっぽど気に入ったのか、それから暫くそればっか連発してたな。サブカル系でナリの罵声に加わった言葉ってあれだけじゃねえか。
 ナリの方は、まあ小学校6年でひとに「虚仮」とか言えるようなヤツだ、勿論成績は超優秀。入学以来学年トップ独走してた。かといって勉強ばっかしてるわけじゃなくって、吹奏楽部では部長だし、生徒会でも会計やってっし、そう!ちっちゃい頃から続けてる弓道ではなんか段持ってんだぜ段!今でも道場通ってるんだ。文武両道何でも来い、平均以下なのって身長体重くらいじゃねえか。典型的日本美人って顔立ちだし。俺がアイツに勝てるのって、ガタイと視力とバレンタインに貰うチョコレートの数くらいじゃねえかなあ。
 そう、俺ら幼稚園の頃から毎年、どっちが沢山貰うかって競争してたのよ。あれだけはナリに負けたことがねえ。ナリはけっこう内気だからな。高校1年生になるまでずっと続いてた。
 けど、この2月、…俺が紙袋一杯抱えて帰ったら、あいつむっちゃくちゃ悔しがってよ。よっぽど悔しかったのかマジ切れしやがった。「誰彼構わず愛想を振りまくから!この節操なしめが!!」って、顔にチョコレート投げつけられたんだ。アイツ、俺用にけっこうデカい箱用意してくれてたから、角がデコチンに当たって痛かったのなんのって。そう、「節操なし」はあの時追加されたんだ。あれは閉口したぜ。毎年恒例のチカちゃん手作りチョコチップクッキーでもなかなか機嫌直してくれなくて。半分は義理なんだからあんなに悔しがることねえのにな。
 来年、どうかなあ。アイツひょっとしたらもう乗ってくんねえかもしれねえなあ。差のつきようがひどかったからなあ…。半分は義理だけど、うん。まあでもクッキーは焼いてやんねえと拗ねるだろうけど。



 その「節操なし」は、長曾我部元親の脳内にある「ナリちゃん罵声一覧表」では、最新の一つ前に位置している。
 最新は、盆明けに喰らった「下衆」だ。
 あれに関してはナリの方も悪いと元親は思っている。健全な高校2年の男なのだ。部屋でひとりになりたいことだってあろうじゃないか。
 まあ、ノックをせずにいきなりドアを開けるなんてことは、お互いこれまで平気でやっていたわけだし、…彼が来るかもしれないと判っている時なら、元親だってあ-いうものを鑑賞したりはしないし、慌てて引っ張り上げたトランクスの前が某世界遺産状態になんて醜態を晒しはしない。
 盆に家族で田舎に帰省した隣人・毛利元就が戻ってくるのは、その翌日の筈だったのだ。予定を切り上げて一日早く戻ってくるとは思いもしなかった。芸術鑑賞及びそれに付随する行為に没頭していた為。「ただいま戻りました!これ祖父の畑で獲れたスイカです。よかったら召し上がってください」「あらありがとう!あ、まだ冷たいじゃないの」「クーラーボックス入れてたんで」「じゃあ早速頂くわ。ナリちゃんも味見して行きなさい。チカ、部屋にいるから呼んできて」「はい!」…そんな会話が母と元就の間で交わされていたのも全く気づかなかった。

「只今チカ!土産のスイカを・・・・・・・・・・・・・・・・・こんの、下衆がーっ!!!」

 点線部分で何があったかは推して知るべしである。
 その後「チカどうしたの?ナリちゃんと喧嘩したの?」と心配した母親を誤魔化すのに四苦八苦したのは言うまでもない。
 以来何となく気まずくて、夏休みだったのもあって、顔を合わせてはいなかったのだが。

 (どうしよう・・・・・)

 9月1日。
 始業式を終えて、帰宅して。元親は暗澹として頭を抱えた。
 (俺だって、頑張ったんだぜ?理系クラス入りたいしよお・・・・・)
 そうなのだ。
 高校2年の今が、トキノ学園では、文系・理系を最終的に選択する時期。
 2学期の中間考査の結果で、希望のクラスに進めるかどうかが分かれる。
 全学年5クラスのうち、理系は1クラスだけ。相対に、理系クラスの方がレベルが高い。
 盆前の三者懇談で、「この成績では難しい」と言い渡された元親は、この夏休みはろくに遊びにも行かず一生懸命勉強に励んだのだ。
 (でなきゃ、ナリと同じクラスになれねえもん。卒業アルバムには同じクラスで写りたいじゃねえか)
 医者になりたいと言っていた元就は当然理系志望の筈だ。彼の成績なら問題なく入れるだろう。
 (大学は絶対分かれちまうもんなあ…。)
 まだ、自分の進路ははっきり決めていないが、何にしても、元就と同じ所には行けないのは判っている。医学部なんて行ける気がしないし、自分が医者に向いているとも思えない。「もしあなたのような医者がいたとして診察して欲しいですか」と聞かれたらこの自分が真っ先にNoと言う。だから、高3では絶対同じクラスになると決めたのだ。
 (頑張ったんだ。頑張ったんだぜ?けどよお…。)
 苦手の英語の課題は、長文読解の問題集を一冊こなすというものだった。これがどうにも手に負えなくて。
 80頁ほどの薄いものだが、半分近く残っている。提出期限は明日だ。期限に遅れたら教師の心証は当然悪くなるだろう。それでなくても理系クラスに入るのは難しいと言われているのに…。
 (どうしよう)
 元就に頼めば助けてくれるのは判っているが、…この間の一件が一件だ。どうにもこうにもバツが悪くて。
 でも・・・・・



「提出前日に言うてくるヤツがあるか!何故もっと早く言わぬ!」
「だ、だってほら、その、この前、…だから、何か、俺…」
「愚劣!たかだか生理現象ではないか!」

 人のこと下衆っつって飛び出したのは誰だよと、元親は心中に嘆息した。
 まああそこで入って来られて観察されたりしたら自分はあまりの恥ずかしさに悶死していたかもしれないが。
 (…しかしまあ、…「愚劣」ときやがったか。)
 脳内の「ナリちゃん罵声一覧表」が更新された瞬間であった。



 馬鹿かと言われ。阿呆と言われ。愚か者と言われ。
 言いたい放題罵りながらも、元就は元親を見捨てることはせず。
「やった…。終わった・・・・・」
 どうにかこうにか課題が仕上がったのは、午前2時。
「もう、其処で寝て行け。今から隣に帰っても、がさつな貴様だ、家中を起こしてしまうに決まっておる」
「あ、ウン」
 否定は出来ない。元親はがじがじと頭を掻いた。
「ほんと、ありがとな、ナリ」
「毎年のことぞ。しかし、…ここまで一人でよう頑張ったな」
 画期的な褒め言葉に、元親の頬が赤くなる。
「他は全部済ませたのか?」
「ん?ああ、まあ」
 今日提出した読書感想文、コミックスの『進撃の巨人』で出したことは(マンガは駄目だとはどこにも書いていなかった。目を皿のようにして確認したから間違いない)黙っておこうと元親は思った。
「ならば、大丈夫だな」
 ふっと元就が微笑んだ。
「来年度はもう助けてやれぬゆえ案じておったが、英語だけのことなら」
「あ、おい」
 こいつ俺に理系は無理だと思ってやがる。元親の眉間に皺が寄る。
「いっとくけどな、俺、理系に行くんだぜ?そら難しいとは言われたけどよ、でも」
「知っておるわ。貴様ならやるというたらやるであろう。中学受験の時がそうであった」
 あり?
「あ、えと・・・・・」
 あ。来年度は助けてやれぬって、まさか。
「ナリちゃん転校すんの?!」
 驚きのあまり小学校時代の呼び方が出た。
「は?」
 元就がきょとんと目を瞠る。
「藪から棒に何を言い出す。転校などせぬわ」
「だって今来年度はもう助けてやれぬって」
「うむ。理系と文系ではカリキュラムが違うゆえ…」
「だから俺理系に行くって」
「知っておると言うておろうが。チカが理系に行くんだってものすごく勉強してるの今年の天候不順はそのせいじゃないかしらと貴様の母御が」
 あ…んの、クソババア。元親の喉から呻き声が漏れた。
「だったら!別にカリキュラム違わねえじゃねえか!」
「だから!我が文系ゆえ!」
「だろ?お前医者になりたいっつってたから絶対文系だって…え?」

 文…系…?

「ちょ、ナリ!何で!お前医者になんだろ?だったら理系じゃねえか!」
 思わず掴んだ元就の腕。…こんなに細かっただろうか?
「声が高い!親が起きる」
「あ、…悪イ」
 慌てて顰めた自分の声は、滑稽なほど狼狽えて響いた。
「あ、…その、お前…、なんで、文系とか…。医者になるんじゃねえの?」
 何の為にこの夏、海水浴の誘いも断って必死に勉強したと思っているのか。隠しようもない不満が声に滲む。
 元就がついと目を伏せる。
 その頬が休み前に会った時より痩けていることに、今更のように元親は気づいた。
 むくむくと入道雲のようにわき出てくる不安。
「何か、あったか?」
 ナリ、と促してやると、やっと、小さな声で答えがあった。

「…兄さんが、悪い」

 心臓が嫌な音を立てた。
 元就の兄・興元はもともと躰が弱く、何度も入退院を繰り返していた。今年もGW前から入院していたのは知っているが…。
「興元さん、…そんなに?」
 元々、彼が医学を志したのは、病弱な兄の役に立ちたいという一念からだった。ずっと傍にいた元親はよく知っている。
 それを、変更するということは。
「保って、半年だと、医者が」
 元親に掴まれたままの腕を、細かく振るわせ、元就が言った。
「今から医学部に行ったところで、もう兄さんの役には立てん。父にもな、出来れば法律事務所はお前が継いでくれんかと言われて…」
 元就の家は法律事務所を経営している。
「ああ…」
 そういうことかと、元親は思った。成る程、法学部なら文系だ。
「去年の春、事務所に入った頃は、兄さんも体調がよくて、…大人になって体質が変わるという例もあるし、きっとこのまま元気になれるだろうと、父も我も、もちろん本人も思うておったのよ。まさかに、こんなに急にこうなるとは思うてもみなんだ。我はまだしも、父はすっかり気弱になってしもうて…」
 ああ、と元親は頷いた。
 元就の父は結婚が遅かったので、元親の父よりは祖父の方に年齢が近い。頼みに思っていた長男に倒れられたのだ。それはそうもなるだろう。
「父のあんな姿を見たらとても否とは言えぬ。兄さんの役に立てぬなら、医者になっても仕方がないし」
 何かを振り切るように、元就が微笑む。
 こんな顔は見たことがないと、元親は思った。
「チカは元々、理系科目の方が得意だしな。ホンダムを作りたいのだろう?なら、頑張って理系に進むといい。我も出来るだけ応援する」

 ああ。この幼馴染みは。
 自分より先に大人の階段を一段登ってしまったんだ。

「ナリ!」

 何か、彼が。
 急に遠くへ行ってしまったようで。

「何故、貴様が泣く」
 腕の中でナリが小さく笑った。
「だってよう…」
 お前だって半泣きじゃねえかという言葉を、元親は懸命に呑み込んだ。今はそれを言う時ではない。
「全く、…しょうのない奴よな」

 あほう、と。
 罵声の筈のその言葉は、それはそれは、優しく響いた。

 




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背景素材:三毛猫6/9

 

 

 

 

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